記憶の暗号 – いつかどこかの忘れもの

株価、地価、レート。あるゆる値段が急速に変動し持てる者だけが税を免れる。

皆幸せになりたいと思いながらいつしか希望はお金にすり替わる。寂しさは性慾と相まって望まれない子供と感染症を拡大させる。さながら地獄のような現実に目を背けるためにドラッグとアルコールに浸る日々。目の前に起きていることは本当に自分の結果なのだろうか。 はたまた夢か幻か ー。

そんな世界の見方は婉曲しすぎだろうか。誰もが現在酒やドラッグに浸っていなくとも、小中高大就職結婚出産出世の”人生”にがんじがらめにされ他者を怨み羨むことに自身の時間と精神を擦り減らしてはいないだろうか。

この世に死んでいい人間などいない。
しかしそれは何処かの誰かにとっての話で、宇宙ないし世界から見ればこの世には死んでいい人間しかいない。というか、関心が無い。 それがそもそもの存在の耐えられない軽さなのだ。

そんな存在を根底に、我思う故に我ありと絶対的正義を振りかざし絶対的悪に対し絶対的暴力を行使し絶対的な正当性を歴史の新たな1ページとして塗り込むのは人間ではなく国家の業である。

国家とはそもそもある地域の多勢のまとまりであり、社会とは集団で生きていくための秩序・システムである。なぜ集団で生きるのかといえば人は一人では生きていけないからで、爪も牙も無い私達が如何に脆弱な個体であるかは自認しやすいはずだ。

木を切り倒すのも家を作るのも灌漑を施すのも井戸を掘るのも皆一人では成し得ない。何故なら、私達はビーバーの歯もなければモグラの爪も無い。
一人では絶対的に弱い存在。それが人間だ。

その自認から社会が始まる。社会の始まりは協力と対価による富の再分配から始まり暫くはそれで平和が保たれる。縄文人の武器等による死傷が極めて少ないのはそのためだろう。

翻って現在、我々の人間社会はどうだろう。
かつて夢の響きを持っていた21世紀。格差は拡がり国家は財政破綻し移民は増加し貧者は暴力に走った。
対して科学技術は進歩し世の中は便利になり爆発的なエネルギーを利用して土地は夜も煌煌と光り続け、眠らない街を創り上げる。夜毎パーティーに明け暮れ生の実感を失いかけた人間は田舎に逃げるか広大な土地を手に入れるしかなくなった。

パーティーも知らず田舎の良さも知らず広大な土地には入ることすら許されず。そんな貧者は何処へ行くか。街へ出稼ぎに行けど雇ってはもらえず唾を吐きかけられ罵られ神経は擦れ減らされ、やがて立派な悪人が出来上がる。

これを格差と言わずして何であろう。
我々は本来、身を寄せ合うようにして生きた同士ではなかったか。

ここに例えば隣人がいる。あなたはその隣人が気に入らない。しかしそれは隣人に理由があるのかもしれないし、あなたにも理由があるのかもしれないし、お互い相手に理由があるのだと思っているのかもしれないし、相手は何も思っていないかもしれない。
たかだかたった一つの感情にも幾つもの視点があるのは現代学問の基本ではあっても、社会の基本になるには程遠い。むしろ遠ざかっていると言えるだろう。

一つの事象、物事の多様性を示したい。きっとそれは世界を読み解く鍵になるはずだから ー。
そんな素朴な考えからこの作品は始まった。
母なる地球の核たるマントルの主成分から成る鉄を、そこに私の身体と時間を乗せて三次元世界に挑み続けた。その結果を本質と呼んで良いのなら、きっとそのままでも良いはずなのに薄い塗膜を、偽物の金の塗膜を身に纏った本質こそが現代人の表象だ。そんな風にして前作、”記憶の暗号 ー 虚構の被膜 ー “は制作された。

しかし、それでは作品がつまらないただの”現代”とか”現代人”の表象に留まってしまう。本当は前述してきたように48億年の歴史を辿るように感じて制作をしているというのに。
一つの視点ではいけない。それでは絶対的正義や暴力やその正当性の誇示に加担することになってしまう。
私が、ちっぽけな私がARTで出来ること。それが二つの異なるものを同時に出現させることだった。本来は100でも200でも足りない多視点的な世界であるけれど、敢えてARTとして二つの極点である中と外の2点に絞った。相対的事象は無限にあるが中は開かれなければ永遠に外である。
そこには余程の偶然か主体の意志が無ければ開かれない彼岸が眠っている。個人の視点が此岸であるならば、別の視点の発見こそが彼岸である。キリストは汝隣人を愛せよと言うが隣人を愛すには隣人に相当した視点を持っていなければならない。何故なら共感なくして相手を愛すことなど不可能だからだ。

一社会における一抹の平和という状態。それを堅持したいと望むのであればあらゆる他者への共感が不可欠である。あらゆる共感を会得するにはあらゆる視点を持たなければならない。知らなければならない。経験により見聞により、あらゆる機会を心中に浸透させて。

もしも、私がこの時代に生まれた意味があるのなら、私がARTの社会性に惹かれた意味もあるのだろう。

金色の、眩いばかりの塊とひっそりと口を閉ざした隣人は誰かに語りかけれるのをじっと待っている。

さぁ、開いてみてほしい。彼岸への扉を。他者への扉、未来への扉を。


2014年/素材:鉄、木材