今回の展示はアートフェアではあるが個展形式で1ブース+廊下壁面をいただいたので、「涓滴岩を穿つ」をテーマに個人的な回顧展を展開した。
これまで行ってきた一途で多様な作品群からシリーズごとの代表的な作品を選び、新作と織り交ぜて展示をした。
そのうちRevelation とReflection は新しい切り口で、それぞれ半分を一気呵成に剥いた画面に当初の痕跡を認め本質への深度ある旅程を示したり、身体性と行為性の色濃い制作プロセスと我々の民族的伝統芸能である能の身体性とを重ね合わせ、世阿弥の提唱した能理論である序破急の起承転結に制作動作の起承転結を重ねたりすることで新たなビジュアルを生み出した。
私は一貫して私の感覚で選び取った素材と行為を蓄積させることで作品制作を行なってきた。
それはひとえに現代でしばしば忘れられがちな重層的な視座を提示するためだ。
自身の行為の一挙手一投足が明確に蓄積され可視化されうるのだとしたら、人は皆今よりいくらか謙虚にならざるをえないだろう。
この世のあらゆる禍は現代を構成する人間による生と死への傲慢さに端を発する。
無論、私とてその傲慢さの内側にいる人間ではあるが、その自覚のある無しは意外と大きいものなのだ。
メディアリテラシーと口では言っても一つの方向の言論で己の意識を形成しさも論客かのような言を張る人間が後を絶たない。多様性と口にしながら自らの民族的排他性に気が付かない人も多い。
大事なことは、眼前にいつもある画面を消してたまには星空でも見ながら、あらゆることに対しての「丁寧さ」について想いを馳せてみることなのだ。
私が作品に宇宙観を託したり、出来うる限りの濃密な時間を込めたりするのは、たとえアートフェアでも流し見では得られない濃密な鑑賞時間を持っていただきたいからだ。
静かに、重く、多彩に、深く。
1つの視座、コンセプトをもってして多様な作品群をこれからも生み出していきたい。