2021, tagboat gallery, Hankyu Men’s Tokyo, Solo Exhibition, VIRTUS

橋本仁個展 VIRTUS

「VIRTUS(ヴィルトゥス)」はラテン語で「内から湧き上がる力」すなわち「内発性」を指します。周囲の目線や考え、損得に左右されることなく倫理、道徳的な行動ができるかどうか。その行動を起こす力の源泉がヴィルトゥスであると解釈することができます。

幸福を〈外側〉に求め続けた結果、著しい感情の劣化が起こっている現代社会において欠けているもの、それがヴィルトゥスだと感じています。政治学者であるリチャード・ローティが「感情教育」を提唱したように、教育とは感情プログラムをインストールすることであり、ギリシャ哲学的に言えば「内なる光の受け渡しを行う」ということになります。正しい感情プログラムのインストールで心に光が灯ることで正しい存在になれるのであって、内発性も自浄作用もそこから生み出されるということです。例えば、目の前で不条理なことが起こった時に〈憤り〉といった感情が湧き上がれば、状況を変えるために行動することができますが、そもそも何の感情も沸かなければ、行動を起こす原動力を持たないということになります。

人間社会が終末的様相を呈している今こそ、改めてヴィルトゥスに目を向け、内発性を喚起していくことで、社会を少しずつ良い方向に変えていけるのではないでしょうか。

● Vitium #1-7 (ウィティウム)

新型コロナウイルスパンデミックと相まって、折から叫ばれ続けてきた地球温暖化問題など環境汚染への意識は世界中で高まっていると感じる。
しかし、環境汚染への警鐘は60年台あたりからずっと指摘され続けているが、抜本的な解決策には至っていない。

人は本来、共感能力を駆使しより良い関係性や未来を築けるはずだが、いつの間にか多くの人々の関心は自身の保有する資産や物欲だけになってしまったようだ。これでは社会は荒廃し欲望のはけ口として地球が摩耗するのは当たり前のことだが、そうした人間の愚かさも歴史上いくらかの賢明な人々によって指摘され続けてきたことではあったのだ。

例えばそれは7つの大罪として古くはエジプトで4世紀の頃から「人間一般の8つの想念」として「貪食」「淫蕩」「金銭欲」「悲嘆(心痛)」「怒り」「アケーディア(嫌気、霊的怠惰)」「虚栄心(自惚れ)」「傲慢」があげられている。

次に初期キリスト教最大のラテン詩人と言われるプルデンティウス(348‐405以後)によって7つの罪はそれぞれのVirtusに対応しているということが示された。

  • 暴食⇔節制
  • 色欲⇔純潔
  • 強欲⇔慈善・寛容
  • 憤怒⇔忍耐
  • 怠惰⇔勤勉
  • 嫉妬⇔感謝・人徳
  • 傲慢⇔謙虚

それでも人類はいつまで経っても己の行いを悔い改めるということはなかったようで、感受性は衰退し他者や社会への無関心は止まるところを知らず、常に世界のどこかでは武力衝突によって人は死に、環境汚染については周知の通りだ。

そんな現世を憂いてか、バチカンのローマ教皇庁はこれまでの7つの大罪はやや個人主義的な側面があったため、これまでとは違う種類の大罪もあるということを信者たちに伝え、理解させるために新しい七つの大罪を発表した:

「遺伝子改造」「人体実験」「環境汚染」「社会的不公正」「人を貧乏にさせる事」「鼻持ちならない程金持ちになる事」「麻薬中毒」

ラテン語で罪や欠点という意味を持つVitium(ウィティウム)をタイトルにした本作は、絵具による現象を積み重ね誰でもない人物像を存在として浮かび上がらせ、それぞれに正面から横顔までの移ろいを発現させている。
これらの人物像は我々の罪深い側面を表しているが、大事なことは目の前に見えている現象としての我々ではなく、その積層に隠された本来我々が持っているはずである本質(Virtus)である。

私達はより良い存在になるための選択権を持っている。
その権利の行使は今からでもまだ遅くはないはずだ。

● Icon

本作品のIcon(図像)は言わずもがな、日本の国旗である。
国旗は時代によって持つ意味が違ってくる。時には民族の象徴として、また時には祖国の記憶として、愛国心を鼓舞する時もあれば憎しみの対象となることもある。

2021年7月にオリンピックを控えた今こそ国旗の持つ意味が最高潮に達しようとしていると感じる。

周囲の発言や己の感情に流され主体性の無いまま国家の営みに身を任せる前に、一度、この国旗を前にこの島の過去現在未来を考えてみたい。

● Daydream

日々膨大な情報の波に飲まれ、思考停止に陥っている現代の我々。情報処理が追いつかず、まるで白昼夢の中を漂っているように生きている人もいるだろう。

元来、正しいことを見極めるために行なっていた情報収集であるが、昨今SNSなどの登場により、いつの間にか「見たいものを見たいよう見る」ために情報を探しにいくようになってきた。そして同じ考えを共有する者だけで構成されるコミュニティが生まれる。それらの共同体はまるで白昼夢の中にいるような心地よさを提供するが、時には現実との乖離が生じてしまう。このような現象は、昨今の新型コロナウイルスへの構えやワクチンの是非を問う場でも散見された。

テクノロジーの飛躍的な進歩のおかげで世界中の情報に瞬時にアクセスできるようになっているが、その全てが正しい情報とは限らない。情報の精度を高めるために、画面の先にある情報を管理し、それぞれの真偽を自分で「考えて」導き出さないといけないと感じる。

つまり、どんなに時代が変わろうと「考える」という行為の重要性は有史以来変わっていないということであり、思考停止は何としても避けなければいけない。

白昼夢という名を冠した本作は4つの画面で構成されている。ここでは敢えてその内容を明示しないが、それは対峙したあなた自身に何を感じ考えるかを託したいからだ。

⚫︎ Memory Code -Interstellar

コロナ禍で突きつけられる本質への眼差しは自ずと原点回帰を促します。
古代社会に想いを馳せると、その世界認識は限りなく広く、隣国は同じ地平上にありながらも違う星のようなものであり、本来は”あちら側”に存在するものであったことを知ります。

未知なるものへの恐怖を憎しみへと変化させて争いを続けるのか、はたまた星間のような距離を保ちながら多様性を受容するのか、今後の選択により私達人類の未来が決まっていくように感じています。見えるけど遠い、透明な樹脂の向こうに広がる星雲のような世界に、本質的な”あちら側”を感じ取っていただけたら幸いです。

⚫︎ Microcosm

Microcosm(マイクロコズム)は既存の宇宙に対しての小さな宇宙として、全体に対しての部分など、幅広く使用される言葉です。

人間という個々の儚く小さな存在が宇宙と相対するものであるように、この世は大きなものが小さなものを包括する入子状つまりは「存在のマトリョーシカ」とも呼べるような構造になっています。

顕微鏡から細胞の営みを見るような本作品は、私の手により色鉛筆の粒子が紙の凹凸に蓄積することで無数の色面が生み出されることで制作されています。

腸内細菌叢が個々の人間存在と照応するように、個々の人間存在は宇宙に浮かぶ無数の星のような存在です。惹かれ合い、別れ、衝突し、合わさり、爆発し、新たな星が生まれ、またそれが繰り返され宇宙の営みはいまもその新陳代謝を繰り返し続けています。

自分自身が人間粒でしかなく、大きなものに包括された存在であることを自覚すれば、「存在のマトリョーシカ」を構成する全ての存在を愛することができるのではないか、そのように思っています。