MOTHER TYPE

― 記憶の暗号から潜在的母型へ ―

世界は現象である。
現象の蓄積が世界というものを構築している。

私が能動的必然性から生み出す、ある純然たる現象の堆積物は、確実にそれが世界の一部ということであり、私が世界に在るという確証である。

独自の判断基準というものをいつしか失ってしまった現世において、今一度「在るべき未来への原点回帰」として、所詮は身体的機能の枝葉としてしか語れない人間の「個」というものを提示することに時代的な意義がある。

資本主義神話と人間の根元的な欲と時間軸の認識と洗脳が蔓延し、すでに混沌とした世界には日々さらに限りなく膨大な情報が加算されていく。 「進化」という名の元に進まなければならないという強迫観念を生み出し、欲と死へと邁進する世界において我々が1粒の人間粒、胡椒の粒のような存在であることを再認識する必要がある。 それは人間存在が小さいとか大きいではなく、過去への編纂であり再考という未来を創ることである。

時代とは時代ごとに重要なファクターがある。 時に発生、時に争い、時に独立、時に統合、時に自由… 歴史的現在年としての「今」において、持つべき時代への観点は編集や再考にある。 もはや進化や劇的変化の時代は終わった。 我々は溢してきた荷車の石炭を拾いなおさなければならない。 そのためには、己が己を認識し実は認識されているという根元意識から出発する必要がある。 「個」が「虚」を生み出し「虚」が多様性を生み出し多様性が概念的世界を形成するからだ。

「個」を観ることは、「個」の後ろにあるものを観ることであり、存在の影を観ることである。 そこに「在る」ことで、在るべきはずのものがそこに「無い」ことに気付くのだ。

私は身体の限りを使い現象に霧散する。 私が現象であり、現象が私である。 しかし、いくら霧散したとて我々が地球上のある一地域のほんの一部で形成されたということを忘れてはならない。 人間は如何に意識を多様性に置きグローバルで巨視的な観点持とうと「風土」という離れがたい形成粒子から逃れることはかなわない。 それは、環境が変われば些細な変化でしんでしまう動植物となんら変わりはない。

我々はあくまで粒であり、地球上のほんの一部で形成されたいくらかの粒でしかないものだ。 どんなところにも形成された環境の粒子が母型として散りばめられている。 それが、本来的なグローバルや多様性の根本にあるものなのだ。

世界は母型で繋がっている。 私は、個から潜在的母型意識への「在るべき未来への原点回帰」を持って、歴史的現在としての「今」に在る。


第12回 KAJIMA 彫刻コンクール 奨励賞